泣けるスイッチ・5 泣くことについて

泣くときには涙が出てくる。涙が出るというのは生理現象である。この生理現象は感情と関係が深いが、必ずしも感情とセットで発動するわけではない。というか、私の泣けるスイッチの場合は、涙と感情ははっきりと隔たっている。


私は、感動したり、悲しくなったり、うれしかったり、びっくりしたり、そういう、一般的な涙も流す。それと比べると、泣けるスイッチで流す涙はあきらかに違うのだ。たぶん、泣けるスイッチは、私の壊れた部分によって生まれたものなんだと思う。


先日、どの泣けるスイッチが入ったのかは忘れてしまったけれど、「あ、泣けるスイッチ入った、涙が出る」ということがあった。夜、車の運転中だったが、私は集中した。「泣くこと」をなんとか説明したいと思っていたからだ。


泣けるスイッチが入って、涙が出てくる前、前兆がある。特徴は、感情がまったく波打たない点だ。ただ、体の奥が、涙を流す準備を急に始めるのはわかるので、それで、ああ、スイッチだと思う。


のどの奥がぐうっと詰まる。のどのところに丸い珠があるような感じだ。鼻の裏辺りがきゅうっとする。味、というと少し違うのだけど、のどのぐうっとした辺りから鼻のきゅうっとした辺り全体に、緊張感の味がするのがわかる。他の生理現象を考えたのだけど、たぶん、おしっこを我慢しているときの感覚が一番近い気がする。


その味がすると、もうまもなくだ。ゆっくりと押し上げられていって、味は最高潮に濃くなる。もう止められない。意思とは無関係に、自動的に目から液体が分泌される。そのときのどの奥は、もう涙の味に変わっている。少し後から鼻水が来る。


泣けるスイッチで泣いているときと、そうでないときと、涙が出るときの生理的感覚は全く一緒だ。ただ、感情が伴うか伴わないか、それだけが大きく異なる。無感情で泣く、ということは、おそらく他の人には伝わりにくいだろうと私は考えている。


泣けるスイッチが入って泣いているとき、私はしばしばおもしろくなってしまっう。涙はぼろぼろとこぼれているのに、私はへらへらと笑ってしまい、そばにいる人を困惑させたことは何度もある。


近ごろは泣けるスイッチのことが少しずつわかってきたので、なるべく人のいるところではスイッチが発動しないように気をつけているし、よしんばスイッチが入ってしまってもできるだけへらへらしないように気をつけている。そうすれば、相手に私が無感情で泣いているということがわからないので、泣けるスイッチのことを説明しなくてもよい。


心理学的な手法で私の泣けるスイッチを解析することは、おそらく可能なのだろう。ただ、私は、泣けるスイッチによってそれほど困っているわけではないし、少しずつだけれど、自分でそれがどういうものなのかを掴んでいて、ゆっくりなペースに満足している。よって、今後、なにかしらの心理学的な手法のお世話になる可能性は低いと思っている。


心があるのかないのか知らないが、なんにせよ、かんたんな構造のくせして、取扱いがむずかしい。


泣けるスイッチについて書こうと思ったことは以上である。いつものことながら、上手く書けなかったところは多々あるけれど、なるべくそのままを書いたつもりだ。おそらく、泣けるスイッチについては、またいつかなにか書くことになるような気がする。