泣けるスイッチ・2 泣きながらタウンページをめくった
何度か書いていることだけれど、私には、大学を休学している期間がある。また、大学時代に、記憶を喪失している期間がある。
ありていにいえば、病んでた。たぶん。病んでた、というには、ちょっとしっくり来ない部分があるのだけれど、でもまあ、病んでた、が一番わかりやすい。今回の本題でないのでそのへんは省く。
病んだ私は、友だちや親からの電話、メールを、一切受け取れなかった。本当に一切合切無視。電話が鳴るのが嫌でしょうがなかった。どれだけ心配をかけているかわかっていても、それでも電話は取れなかった。
その頃のことはわりと忘れてしまったのだけど、「これはまずいので病院に行こう」と思った日のことは、くっきりと覚えている。どこかに書いた気がして探してみたら、1行だけ書いていた。
http://www.mypress.jp/v2_writers/tomihiro/story/?story_id=1705074
上記リンクより引用。
Q6/今まででいちばん生命の危機を感じたのは?
大学生のとき、ベッドの上に1人座り込んで、涙を流しながらタウンページをめくっていたときです。
私は、このとき、神経科あるいは心療内科の病院を探していた。生命の危機を感じていたからだ。
このままいくと、私は自分で自分を殺しちゃうかもしれない、と思った。私は、自分のことなんて嫌いだから、死んじゃってもいっこうに構わないのだけれど、私の周りの人は、私が死んだらたぶんすごく悲しんでしまう。私は、私の周りの人のことがとても好きだ。私なんかのせいで悲しませるなんて、そんなひどいことはしたくない。だから、私は私を殺してはいけない。今はまだ、私は死にたいって思わないから、いまのうちに手を打っておかなければ。大丈夫なうちに、やらなきゃ。そうしないと、私はそのうち死んでしまう。
まあ、こんな感じだ。病んでるねー。病んでたよー。でもちょっとおかしな病み方をしているよな。まあそれはそれとして。
たぶん、午前中だった。目が覚めて、何件か着信があって、すべて無視して、少し何かを食べたような気がする。当然、たいして食べられなくて、ベッドの上に戻る。
部屋の中は荒れている。床にはモノが散乱していて、ベランダのほうをむかないかぎり、どっちを向いていても、ぱんぱんのゴミ袋が視界に入ってくる。
私は、なるべく部屋の様子が視界にはいらないように壁を向く。ベランダのほうを向かなかったのは、まぶしくて辛かったからだ。
電話が鳴っている。バイブにしたままだったことを後悔した。おっくうがらずに、音が鳴らないようにしておけばよかった。電源を切ればいいようなものだけどそれはもっとできなかった。このときは、電源を切ってしまうと、家に人が来てしまうような状況だった。
ぐしゃぐしゃのベッドの上に、ぺたんとべべちゃんこして、タウンページの黄色い表紙をにらんで、少し考える。
客観的に考えて、現在の問題を、私1人では解決できない。専門家の意見が必要である。おそらく病気なので、病院に行くことは、至極当然である。
この頃が、メンヘラとかヤンデレとか、そういう用語が流通している時代だったら、私はもうすこし苦しまなくてもよかったのかな、とちょっと思う。昔より改善していたとはいえ、心療内科への抵抗感というのは、今よりも社会的に強かったと思う。まあ、私の場合、それはそんなに問題ではなかったけれど。
私、死にたいかな? いや、死にたいとは思わないよね。うん、思わない。どこを探しても、それはない。じゃあ、タウンページだ。
もう一度自問自答して、深く息を吸って、ページをめくる。神経科、神経内科、心療内科、違いがわからない。自分の場合、どの科にかかればいいのか、タウンページだけではわからない。病院の数もそれほど多くなかったので、さらに困る。
結局、行きやすさを考えて、バスを降りてすぐのとこのにある病院を選んだ。場所をメモに書く。
ずっと、泣いていた。悲しいとか、そういうのじゃなかった。勝手に涙が出て、止まらなかった。うん、病んでたんだと思う。
なかなか親と依存のスイッチにたどり着かない。
しかたがないので、もう一区切り入れます。