回復

母は、本当に、みるみるうちに回復していった。通常、手術後2週間くらいは入院するらしいんだけども、母は、1週間半で退院になった。看護師さんたちからも、「優等生だ!」とおだてられ、入院の後半はほとんど誰も様子を見に来なくなったと自慢げだった。奇しくも母の誕生日が退院の日に決まった。


退院の4日前くらいだったか、母から父に退院を知らせる電話が入った。そのなかの会話で、ちょっと変だな、って箇所があった。父が、「ああ、そうか。ふうーん。そうか……。うん……、うん……」って言ってた箇所だ。なんとなく変だった。私は、何の話だったの? って聞かなかった。


食事を終えて、一休みしていたら、父が、
「お母さんの検査の結果な、出たんやって。なんかな、良くなかったらしい」
と言った。さっきの変だったところの報告だった。私はへーって言った。それ以上は特に話さず、テレビを楽しく見た。父が風呂に入っている間に、二階に上がって、少し泣いた。


退院の前日、医師から母の検査結果を含めて、説明があった。検査結果は、決して良い結果ではなかったけれども、私が予想していたものより悪くなかった。ほっとした。


だが、母はこれからも病気に縛られた生活を続けることになる。今の自分の死ぬリスクが何%なのかという数字を見ながら、日々を過ごすことになる。健康な状態でも、人は、いつ何が起こるかわからない。病気を抱えていてもそれは同じだが、母は、「いつ何が起こるかわからない」ような状態が起こってしまう可能性が格段に高くなってしまった。それをどう受け止めるのか、まだ、腹が決まらないでいる。


でも、私は、とりあえず実家に戻って良かったと思った。役に立っている実感はないが、(実際あまりなにもしていない)、いないよりは良かった。


回復してきて、検査の結果が芳しくなかったと聞いたあとから、母は、
「お母さんはいつ死ぬか分らんねんからな」
と言うようになった。これまで、かたくなに、そういう発言を避けていた母が、いままでのように、軽口をたたくようになった。「お母さんは重病人やねんで!」「お母さんは死にかけやねんで!」と、何かあると言う。聞くたびに、元気になったな、と思う。


少し気になるのは、老人介護のニュースや、高齢者の医療に関するニュースを見ているときの母だ。
「こんなおじいさんおばあさんになっても生き永らえさす医療ってなんやろうな」
「死ぬ自由もあってええと思うねん」
「こんなにまでなって生きたいって思うんかなー」
真顔でそういうことを言う。私は、まだ、その話を真剣に聞いてやってない。何を思って、母がそういう発言をするのか。私には、まだその意をくめない。あまり深く考えず言っているような気もする。


いまは、自宅で、手術で落ちた体力の回復に努めている。体力が回復したら、投薬による治療が始まる。人によっては副作用が出るという。その治療がひと段落するのを見てから、私は自分の部屋に戻ろうと思っている。


今は、私のごはんを作ったりもしている母よ、ごめんな。リハビリだと思ってがんばれ、母。体調が戻ったら、もうちょっと家事をします。明日こそ、母と散歩をしようと思う。