帰省した日

10月25日月曜日。早めに職場に行って、上司に事情を話して、契約期間の10月末で退職することになった。退職まではお休みという形をとってくれるとのこと。「静岡に戻ってきたら連絡をくれ」と言ってもらえたが、にっこり笑って「ありがとうございます」と答えておいた。


早退させてもらえることになったので、予定よりも早い新幹線に乗れた。健康保険の手続きや、郵送物の転送届を出して、おそばを食べて、新幹線に乗った。ここ数日食欲が落ちていて、あまりものを食べられなかったのだけど、この日のおそばはおいしく平らげられた。実家に戻ることが決まって、少し不安が薄れたようだった。


15時半に新幹線に乗り込んで、実家近くの駅に着いたのは、20時過ぎ。仕事終わりの父が車で迎えに来ていた。


私は、父に、ひたすら遠い、新幹線5時間弱はさすがに辛い、と愚痴った。
たしか、父から口火を切ったと思う。
「お母さんな、やっぱり病気のこと言わんねん」
「体調はどうなん?」
「ここのところは良さそうやけどな。でもやっぱりちょっとおかしいっちゅうか、無理しとる感じはするかなあ」
「そうかー。まあ、病院の先生の話を聞いてみてやね」
「そやなあ」


母からメールがあり、明日の朝のパンがないから買ってこいとのこと。父とスーパーに寄った。父が母に電話して、「牛乳はまだあったか?」とか「アイスは抹茶アイス?」とか普段通りににやにや話しているのを見て、ほんとにいつも通りの帰省みたいだなって思った。私と電話を代わった母の声はいつも以上に明るかった。


我が家は3人家族の身軽さからか、引っ越しが多く、今回の実家も一年ちょっと前に引っ越してきたところだ。この家に入るのは、たぶん3回目。荷物を置いて、母の作ってあったおでんを食べてだらだらする。シリアス感がまったくない。父も母もよく笑っていた。


母が、「さあ、食べ終わったら家族会議やで!」と元気よく言って、我が家のわずかながらの財産の話。大事なものはこの箱の中で、この通帳にはお母さんの貯めてたお金があって、これはお父さんのお給料が入る通帳で、云々。私は、あまりの通帳の数に、笑いが止まらなくなってしまった。座卓の上が、通帳とカードで見えなくなるくらいだった。母曰く、県をまたいだ引っ越しも多く、そのたびに使う銀行が代わって、どうしてもこうなってしまったとのこと。


また、母が自作のレジュメを準備していたのだけど、それもさっぱり要領を得ず、さんざん父と私で突っ込む。話している内容は、「お母さんにもしものことがあったら、この口座のお金はすぐに引き出すんやで」などのあまり楽しくない内容なのに、3人で大いに盛り上がった。


「で、保険なんやけどな……」
と母が切り出すと、父が、
「保険の話はせんでええ、お父さんが分かってたらええから」
と遮った。誰も何も言わないので静かになった。
母が、ええの? と聞いて、父がええから、と答えて、この話はおしまいになったので、私は今回の母の病気でどの保険からどのくらいの保険金がおりるのか、今もって知らない。


実家に戻る前、何度泣いたかわからなかったけれど、実家に戻った日、泣きそうになったのは、玄関に入って母の笑う顔を見たとき、その一度だけだった。