発覚

父から電話があった。なぜ金曜日に病院なのか再び母に聞いてみたけどやっぱり教えてくれなかった、とのこと。また、父が私にメールをして様子を探っていたことも母にばらした、とも言っていた。


父と私の画策のことを知っても母はしゃべらないのか、と思った。そして、金曜日の病院が終わるまで、母にこちらから電話をしないほうがいいだろうと判断した。なぜそう思ったのか説明するのが難しい。ただ、私と母は似たようところがあるので、なんとなく間違っていないという気がした。単純に母を問い詰めるのが怖かっただけかもしれない。私は臆病だ。


そういうわけで、ここからしばらく母とはメールのやりとりのみとなる。今振り返ってみると、このころが一番不安が強かった。なんだかよくない気配だけがどんどん濃厚になっていくのに、なにがどうよくないのか確認する手立てがメールしかない、っていう状況が、さらに自分の不安を煽っていたんだな、と思う。


そして10月22日金曜日。仕事に行くバスの中で母にメールを送信。メールの文章は、前日の夜にすでに作っていたのだけど、なんども読み返して、少し直して、それから送った。

おはよー。おとといはお父さんからのメール黙って電話してごめんね☆
今日病院行くんて?来週お父さんがいっしょに行ける日にしたら?
心配やからお昼休みに電話するね。病院行くんやったら気を付けて行くんやでー

母からの返事は、始業直前に来た。

心配かけるね。今病院。夕方までかかるから、夜電話するね。

とりあえず、昼には電話するなってことか、というのと、「夕方までかかる」って何? っていうので頭がぐるぐるした。仕事をしようと思った。仕事をすれば余計なことを考えない。このときばかりは仕事があってよかったと思った。前日不安で泣いてしまっていて、ものすごく目が腫れていたけど、ちょうど仕事が佳境で、「トミヒロさん、眠そうですねー、お疲れですな」で周りが流してくれるのも、具合がよかった。


午前中なんどか涙腺がゆるんだものの、持ちこたえ、お昼休み。あらかじめ買っておいたコンビニおにぎりをひとつだけ腹に収めて、母への返信作りに取り掛かった。


その夜も残業が確定していたので、夜の電話に出られるかわからなかったが、母から電話がかかってきたら何があっても出ようと決まっていた。その旨を入れてメール本文を作ろうとするのだけど、どうにも涙がにじんでしまっていけない。


今ごろ母は一体病院で何をしているのだろうか。それがまったくわからない。わからないから、最悪の状況が次々と頭をめぐる。そうすると、私の目から涙が出てくるという仕組み。


こりゃいかんな、と思って、トイレに行く。個室に入ると、思ったより泣ける。しょうがない、泣くか、と思って、腰を据えて泣いた。


泣いたはいいけれど、しまった、と思った。ここのフロアのトイレは、お昼休み後半には、歯磨きの職場の人でにぎわうのだ。この泣き顔を洗ってるところを目撃されるのは、あまりよろしくない。


それで、別フロアのトイレで顔洗おうと思い、急いで個室を出たところ、どんぴしゃりで、同じチームのパートさんとはちあってしまった。
「おつかれさまでーす」
って、私はできる限りにこやかにトイレを去ったけれども、パートさんは目がお面みたいにまんまるだった。


なんやかんやで午後の仕事も乗り切り、8時まで残業。母からの電話は無い。会社を出て、いったんバス停に向かった。が、もしかすると急に帰省する必要が出るかもしれないしお金をおろそうと思いつき、近くの郵便局に向かうことにした。


郵便局に向かう最初の横断歩道の手前で、携帯の振動が。母からのメールだった。

今日は疲れたから、もう寝ます。心配しなくていいよ。来週の水曜日に入院して、11月1日に××*1の手術をします。
びっくりさせて、ごめんね。

ああそうか、と思った。なんだか少しほっとしていた。よくない気配の正体がはっきりしたからだと思う。


泣きながら横断歩道を渡った。まっすぐ顔をあげていれば、泣いてるって案外気づかれないもんだな、って思いながら歩いた。立ち止まるとさすがに気づかれるようだな、とも思った。次の横断歩道を渡るための信号待ちの間、ハンカチで目をぬぐった。


郵便局であるだけお金をおろした。普通に操作したはずなのに、ATMから千円札がびっくりするほど出てきた。ちょっとした札束。落ち着いているつもりの自分がそうとう動揺していることに気づいて、ちょっと笑った。


バス停に戻り、列に並びながら母にメールを打つ。

わかった。ひとりでこわかっただろうにがんばってたんだね。今日はゆっくり寝て。また電話する。おやすみ。


バスの中、何度か泣けてきて、困った。

*1:すみません、病名を書くかどうかまだ決めかねているので、今の時点では伏せます。