「わからなかったら聞けばいい」の落とし穴
「わからなかったら聞けばいい」という言葉があって、私もそうだよねーって思う。でも、本当に、わからなかったら聞けばいいのか、そう簡単なことではないんじゃないか? と最近思うようになった。それは、「わからないから聞けばいいんだけど、諸事情により、聞くに聞けない」っていう状況が多々あるために、「わからなかったら聞けばいい」という言葉があるのだな、と思うようになったということとも通じる。
上手いたとえ話が浮かばないけれど、ひとつだけ例を。最近、私はパソコンを習っていて、そこのパソコンの先生が、すごく質問しづらいタイプの男の人である。ああ、なんて言ったらいいのかなー。どのへんがすごく質問しづらい感じがするのか、うまく言葉にして伝えられない。悪い人じゃないし、教え方もへたじゃないんだけど、どうしても質問しようって気にならないんだ。
(あー、これどうやるんだっけなー、たぶん習ってないテクニックが必要だなー、でも先生に聞くほどのあれでもないから、自分で調べて、わからなかったらあきらめよう)
って、しょっちゅう思う。
- 先生が質問しづらいタイプ
- 背景に、人に聞く前に自分で調べるほうが勉強になる理論
- こんなこともわからないのか、と他人にばれてしまうのを恐れる小さなプライドの存在
私の場合は、おそらく上記の三つがあいまって、「わからないから聞けばいいんだけど、諸事情により、聞くに聞けない」が生じていると思われる。うーん、やっぱりあまりいい例えじゃないな。なんとなくわかっていただければ幸い。
それで、どういうことが言いたいかというと、社会に生きていると「わからないから聞けばいいんだけど、諸事情により、聞くに聞けない」がけっこう多発するから、「わからなかったら聞く」というアクションに対してのハードルを下げておくのはいいことだ。それから、「わからなかったら聞く」という信念をもってしても、わからないことを聞きづらい場面というのも存在するという覚悟を、持っておくといい。そして、そのときどう対処するのかという対策をいくつか持てるよう努力すべきだ、ということが言いたかったです。
どうも、マジメ人間です。