人生の分かれみち

中学校三年生のとき、推薦で特待生で授業料免除という破格の待遇で、都会にある高校の音楽科に進学できる、という話があった。私は吹奏楽部でクラリネットを吹いていて、所属していた吹奏楽部が金賞をとっていたので、そういう美味しい話がころがりこんできたのだ。

私の楽器の腕前は、クラリネットパートの中で一番上手い、というものではなかった。ソロのオーディションで最終候補に残る程度には吹けたが、それ以上ではなかった。ソロはいつも別の子が吹いた。私は、ソロを吹きたいとあまり思わなかったので、オーディションで候補として残ることすら、あまり好ましく思っていなかった。

私は1stセクションより、2ndセクションを好んだ。バランスを考えてメロディにぴったり寄り添ったり、絶妙のタイミングで地味な合いの手を入れるのが、ことのほか好きだった。

きれいな音で自由自在に美しい旋律を吹きたいという気持ちはあったけれど、それしかなかった。性格的に、それ以上のものは持てなかった。表現に対する根源的な欲求というか、対他人に対する気持ちというか、そういうものがほとんどなかった。そのころの私の興味はあまり外に向いていなかったんだろうな。

まあ、今となって考えてみると、という感じだ。あのころの私は、自分がソロを吹きたいと思わないことも、2ndが好きなことも、たいした問題だと捉えていなかった。ただ、「音楽科に進学して芸大を目指して……」というビジョンが持てなかったということは、自分の適性をなんとなくわかっていたのだろうな、と思う。

結局、「私はピアノが弾けないし(芸大受験にピアノが必要な場合は多い)、英語も苦手だし(芸大受験では英語が必要な場合が多い)、特待生とはいえ楽器を続けることはお金がかかるし(我が家はそんなに裕福ではない)、クラリネットを吹くのは好きだけど、音楽科には行かない」と決めた。

あのとき、「やっぱり楽器を吹くのが好きだから、音楽科に進学する!」って決めてたら、と、ときどき考える。そのとき、私は、「あのときが私の人生の分かれみちだったのかもしれないなあ」と思う。

それだけ。あっちがよかった、こっちがよかった、ということは、あまり考えない。ただ、人生の分かれみちっていうものについて、つい考えてしまうという話。