簡単にセックスをすること

たまにセックスの話をしたくなるのでする。一般論的な話しかしないので、あまりおもしろくならないです。


たまに、(複数の人と)些細なきっかけで、簡単にセックスをしてしまったことについての相談というか、話をされることがある。

たとえば、たいして好きでもない相手と酔ったいきおいでセックスをして面倒なことになったとか、「付き合いましょう」「そうしましょう」という明確なやりとりのないまま、なんとなく好きかもしれないと思ってセックスをしてしまったけど付き合うつもりはないと言われたとか、わりと頻繁にそういうささいなきっかけでセックスをしてしまうとか、意図的に「付き合いましょう」「そうしましょう」というやりとりを避けて、複数の人とのセックスを実践しているとか。なんか、そういうの。

私はそういう話を聞くと「どうやったらそんな風に簡単にセックスができるのかな?」と思う。嫌味っぽい感じでそう思うんじゃなくて、方法論に興味がある、という意味で、そう思う。

なんせ、私は6年か7年くらい彼氏がいなかった。彼氏がいない長い期間で、「よし、もっと遊んだほうがいいぞ!」と意気込んだにもかかわらず、まったくパンツを脱いだり脱がされたり、という局面が訪れなかった。だから、どうやったら自然と簡単にセックスが出来るのかな、と疑問に思うのも、自然の流れだと思う。

話を戻すが、私に話しをしてくれる人たちは、些細なきっかけでセックスをしたことを悔いる場合もあれば、別にセックスくらい気にしていないんだけどねというスタンスの場合もある。あと、人に話すというくらいだから、傷ついている場合も多い。

私は、そういう人の相談や話を聞くときに、「ああ、世の中には、簡単にセックスをすることを良しとしない社会通念がとても浸透しているんだなあ」と思う。

私としては、社会通念がどうでも関係ないと思っていてセックスがしたいからたくさん簡単にセックスをする、という人はそうすればいいと思うし、逆に、社会通念上よくないことをしているという罪悪感に苛まれて苦しいけどついセックスしてしまうのであれば、そうならないような手立てを考えたらいいと思う。前者の場合は励ますし、後者の場合はいろんな場合分けをしてどれが最善の方法か一緒に考える。

ただ、どちらにしても、セックスには相手がいる。今の日本では、セックスのことを重く捉えている人がわりと多いので、自分は簡単なセックスのつもりでも、相手はそうは思っておらず、大変面倒なことになる場合は、かなり多いように思う。セックスは簡単にできても、セックスのあとに生じる問題は、簡単に解決できない場合は、あまりにも多いようだ。

私には、セックスを簡単にすることも、セックスのあとに生じる問題も、よくわかっていないのだけれど、とにかく、セックス関連は、面倒が多そうなので、それほどセックスしたくないのなら、あんまりしないようにしたほうが、その人にとって望ましい結果を得られるのではないかな、と思っているので、そう言う。


なんにせよ、それほど好きでない人とセックスしたり、付き合う可能性のない人と無駄だと思いながらセックスをしたり、一人に絞らないで何人かとセックスしたり、そういうことをする場合には、相応の覚悟がいるだろうし、それをして傷つくのなら、がんばってセックスを我慢したほうがいい。傷つかないと思ってセックスしたけど、終わってみたら傷ついていたのなら、反省して、次から我慢すればいい。私はそういう風に思う。